西の都 装飾
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ちくぜんこくぶんじあと

所在地 太宰府市
指定等の状況 国史跡
エンブレム

聖武天皇の命で全国に建立された国分寺の一つです。周辺で戸籍計帳木簡が発見され、国府など筑前国の関連施設も近くにあったことがうかがわれています。周辺景観は当時の面影を残しています。

741年、聖武天皇は天然痘の流行や飢饉、内乱など度重なる災いを憂い、仏教によって国を鎮めるため、全国に国分寺と国分尼寺を建て、七重塔に経典を納めるよう詔を出しました。筑前国分寺の正確な創建年代は分かりませんが、史料から九州内の他の国分寺よりも先行して建立されたと考えられています。発掘調査によって、現在の「国分寺」の場所に金堂があり、金堂と中門をつなぐ回廊の内側に塔、金堂の背後に講堂がそれぞれ配置され、その外側に約192m四方の範囲で塀がめぐっていることが明らかになっています。四王寺の山麓に建立された国分寺は遠くからも望むことができ、なかでも高さが際立つ七重塔は「国の華」である国分寺の象徴的存在といえます。

太宰府市キャラクター/
旅人のたびと・おとものタビット・
れいわ姫

まず、文化ふれあい館を目指しましょう。
文化ふれあい館は、太宰府市内の史跡や文化財の紹介・展示も行う施設です。この屋外には、かつて筑前国分寺に立っていた七重塔の、精巧に復元された1/10模型があり、必見です。
ここから筑前国分寺跡は、西へ徒歩3分。建物があった場所を示すような整備がなされています。塔跡には、かつて七重塔の柱を支えていた巨大な礎石が、そのまま残っています。

〒818-0132 福岡県太宰府市国分4丁目3-26

西鉄都府楼前駅から徒歩約20分

古代日本の「西の都」 イメージ画像

1300年前、筑紫の地に誕生した「西の都」。東アジアに華開いた壮大な国際交流都市のストーリーは、福岡県筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町、佐賀県基山町に広がっています。