天神小路逍遥 ~素顔の道真を訪ねて~
太宰府天満宮に祀られている菅原道真。その歴史をひもとけば、晩年ひとり静かに想いを巡らせる姿と、死後、人びとの崇敬を集めて学問の神となった姿があります。「西の都」の小路を訪ねれば、未だ知られていない“素顔の道真”に出会うことができます。
文芸に優れた道真を祀る太宰府天満宮。道真が太宰府で過ごした時間は短いが、確かな文化を残している。
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道真が漢詩『不出門』で「都府楼」と詠んだ大宰府の政庁跡。
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かつて道真が過ごした府の南館跡(現在は、榎社)。
天皇の忠臣として右大臣まで登りつめた菅原道真。901 年、突如、その活躍をねたむ藤原氏に無実の罪を着せられ、大宰府の長官代理として流されます。しかし、長官とは名ばかりで、大宰府の役所へ入ることもできませんでした。 朱雀大路沿いにあった古びた官舎は「南館」と呼ばれており、道真自ら「空しき官舎」と詠むほどに荒れ、不便な生活を強いられました。大宰府の南にある天拝山には、その頃に道真が天に無実を訴えたと言う話が伝わります。
失意のうちに亡くなった道真の亡骸を牛車にのせて運んでいたところ、突然牛が動かなくなり、その地を墓所としました。安楽寺の創建、後の太宰府天満宮のはじまりです。道真の死後、再び名誉が回復されると天神として祀られ、多くの人々の崇敬を集めるようになりました。そして、今日まで続く、天神様・菅原道真を大切にするまち・太宰府を形成していくのです。
また、道真の死から百年余り、霊を弔うために南館の跡地に建てられた浄妙院は、現在、榎社となっており、この榎社と天満宮をむすぶ神幸行事は、現代によみがえる平安絵巻として多くの人々に親しまれています。