西の都 装飾
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だざいふがっこういんあと

所在地 太宰府市
指定等の状況 国史跡
エンブレム

大宰府におかれた官人養成機関の跡です。西海道諸国の郡司子弟が学びました。ここに吉備真備が唐より持ち帰った孔子の肖像画が安置された施設が置かれていたと、大宰権帥大江匡房は『江家次第』に記しています。現在県道沿いには、孔子廟に代々植え継がれている櫂の木の種を孔子の子孫家から譲り受け育てられたものが植樹されています。

大宰府には、「府学校」とよばれる官人を養成する学校が置かれ、筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後の6国の、郡司など有力者の子弟ら200人ほどが学んでいました。史跡名にもなっている「学校院」とは、学校があった一角を示す言葉です。 府学校には、儒学の経書をテキストに官人としての基礎教養を学ぶ「学生」、医学を学ぶ「医生」、算術を学ぶ「算生」などがおり、それぞれ博士などの教官から教育を受けました。かれらは大宰府や6国、郡の役所の官人として活躍しました。大宰府はそうした若者たちが学び、交流を深める場でもありました。

太宰府市キャラクター/
旅人のたびと・おとものタビット・
れいわ姫

ここは、当時の行政と宗教の中枢だった大宰府と観世音寺に、東西をはさまれた重要な場所です。そして北は丘がせまり、南は条坊の街区が広がっていました。
九州一円から集まった多くの学生たちが、ここで切磋琢磨し、官人として育っていったことでしょう。にぎやかだった場所は、いまは美しい田園風景が広がる空間となっています。学校院は、学業院とも呼ばれました。その名は、近くに校舎を構える、学業院中学校が受け継いでいます。

〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺4丁目1

西鉄五条駅から徒歩約13分

古代日本の「西の都」 イメージ画像

1300年前、筑紫の地に誕生した「西の都」。東アジアに華開いた壮大な国際交流都市のストーリーは、福岡県筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町、佐賀県基山町に広がっています。