「西の都」で花開いた
文化が薫る南郊の地
筑紫野市
国家祭祀や航海祈願が行われた宝満山や、豊前へ抜ける街道沿いの阿志岐山城を望む天拝山。その麓にある次田温泉は癒しと交流の場としてにぎわい、万葉集にも多く詠まれています。畿内や大陸との交流を伝え、「西の都」の繁栄を想起させる史跡も多い南郊の街です。
JR博多駅からお越しの方
・JR鹿児島本線で二日市駅まで14分
駐車場
トイレ
JR二日市駅を出発
徒歩約10分
癒しと交流の場 次田温泉(二日市温泉)
万葉集に「次田温泉」とあり、大宰帥・大伴旅人もこの地を訪れました。平安時代末頃の『梁塵秘抄』には、大宰府高官、僧、武士や料理人、武蔵寺という入浴順が記されており、「西の都」の人々の疲れを癒す場であるとともに、交流の場でもあったことがうかがえます。
※次田温泉と大伴旅人歌碑はほとんど同じ位置にあります。
万葉集筑紫歌壇の一人 大伴旅人歌碑
奈良時代の神亀から天平年間に太宰府に滞在し、万葉集に歌を残した著名な歌人たちを「万葉集筑紫歌壇」と呼び、その歌碑が市内各地に建てられています。万葉集約4500首のうち、筑紫で詠まれた歌は約320首。ここの歌碑にある歌は、愛する妻を亡くした大伴旅人が悲しみの中に詠んだものです。
徒歩約1時間
西の都が一望できる、菅公伝承の地 天拝山
大宰府の南に所在する標高258mの低山。菅原道真が無実を訴えるため山に登り、天に向かって祈ったという伝承があり、そこから「天拝山」と呼ばれるようになりました。博多湾まで広がる西の都を一望する、山頂からの眺望も見どころです。
徒歩約1時間
古代寺院の礎が残る 塔原塔跡
中心に仏舎利を納めるための舎利孔をもつ花崗岩製の塔心礎が残る塔跡で、筑紫大宰帥・蘇我臣日向が654年に建立した「般若寺」であるという説も。近畿地方に系譜を持つ瓦の存在から、「西の都」の成立以前から筑紫と近畿地方との交流があったことがうかがえます。
徒歩約10分
先進的な建築文化を今に伝える 杉塚廃寺跡
奈良時代の初めごろに建立された古代寺院で、礎石建物跡が見つかっています。大宰府政庁や周辺の役所で使われたものと同じ軒丸瓦や軒平瓦が葺かれており、都のみならず近郊の建物も先進的な瓦で彩られていたことがわかる史跡です。
徒歩約20分
JR二日市駅へ到着