「西の都」
ってなぁに?
およそ1300年前、奈良の都から遠く離れた九州には、九州をおさめ、外国との交流や、国境を守る役目をもった「大宰府」という役所がおかれました。大宰府は、水城、大野城、基肄(きい)城などのお城でまわりをかこみ、その内側に中国の唐の都を手本にして、きれいに区画されたまちがつくられました。まちには、役所だけではなく、役人を育てる学校、外国の使節をむかえる館、大きな寺、人びとでにぎわう市場などがあり、まさに、古代日本の「西の都」でした。
「西の都」はこんなところだった!
「西の都」には、文化や学問に優れた人びとも集まり、和歌をよんだり、宮廷と同じ行事が行われたりしました。また、外国から伝わった舞に使うお面や、優れた技術でつくられた仏像のほか、東アジアの国々から貴重な品々も集まってきました。今も、太宰府周辺には、東アジアとの交流でにぎわった「西の都」大宰府にかかわる文化財がたくさん残っています。
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1大宰府跡
古代の大宰府のなかで、中心的な役所の跡です。大宰府の長官が仕事をした政庁や、朱雀大路のそばにつくられた外国使節をもてなす迎賓館などがあります。
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2大野城跡
665年に、四王寺山の上につくられた日本最古の山城で、「西の都」大宰府が成立すると、大宰府を囲む北の拠点となった重要な城でした。
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3水城跡
664年に、平野をふさぐためにつくられた土塁(城壁)で、水をたくわえた濠をもつため水城と呼ばれました。近くには小さな規模の水城もつくられました。
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4観世音寺・戒壇院
舞に使うお面や、多くの仏像が伝わる、大宰府を代表するお寺です。古代の九州では、唯一、正式な僧になるための試験が行われた場所でした。
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5筑前国分寺跡
8世紀中ごろ、天皇の命令によって全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。当時、境内に建っていた七重の塔は、「西の都」の中で一番高い建物でした。
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6大宰府学校院跡
大宰府には、九州各地の有力者の子どもが、役人になるための勉強をするため学校院と呼ばれる施設がありました。多いときには200人ほどが学んでいました。
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7国分瓦窯跡
8世紀に、大宰府の役所や筑前国分寺などで使うための瓦を生産していた窯の跡です。窯は、焼いたレンガを積み上げてつくられていました。
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8宝満山
国をまもるための祈りや、遣唐使が唐へ向かうときの航海の安全を願う祈りが行われた山です。有名な僧が訪れるなど、「西の都」にとっても大事な山でした。
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9梵鐘(観世音寺)
飛鳥時代の終わりごろにつくられた、国内に現存する最古の鐘です。平安時代には、菅原道真が鐘のことを漢詩によんでいますが、今も当時と同じ音色が聞けます。
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10太宰府天満宮
平安時代の役人で、文化や学問にすぐれ、活躍した菅原道真が葬られた場所に建てられた神社です。今も多くの人びとがお参りにくる学問の聖地となっています。
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11太宰府天満宮神幸行事
大宰府の地で亡くなった菅原道真をとむらうため、毎年秋に行われる、太宰府天満宮の行事です。平安時代の衣装を着た大行列は、古代のふんいきがあります。
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12太宰府天満宮の伝統行事
平安時代に、日本の都「平安京」で行われていた宮廷の行事が、大宰府でも行うようになり、今は太宰府天満宮の伝統的な行事として続けられています。
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13万葉集筑紫歌壇
奈良時代にまとめられた、日本最古の歌集『万葉集』には、筑紫(九州)にかかわる歌が多く残されています。その歌をよんだ歌人たちを、万葉集筑紫歌壇とよびます。
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14大宰府条坊跡
唐の都である長安や、奈良の平城京をまねて、碁盤目のような街の区画(条坊)がつくられました。今もまちを歩くと、当時の区画の一部が残っています。
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15官道
奈良時代から平安時代にかけて、国によって全国につくられた道路です。博多湾近くから大宰府へ向かう官道は、外国の使節や商人などが通った道でした。
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16軍団印出土地
飛鳥時代の終わりごろ、地域から兵士を集めた軍団が全国に置かれました。大宰府では、これまで「御笠団」と「遠賀団」の2つの軍団の印かんが見つかりました。
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17般若寺跡
奈良時代に建てられたお寺の跡で、塔の跡が残っています。古代大宰府のまちの中央付近にある高台にあったことから、とても目立つ存在でした。
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18南館跡
菅原道真が、亡くなるまでの2年ほどを過ごした館の跡で、東側に朱雀大路が通っていました。毎年、秋の太宰府天満宮神幸行事では多くの人でにぎわいます。
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19太宰府の梅
梅は、もともと日本にはなく、中国(唐)から伝わりました。平安時代の貴族、菅原道真が梅を好んでいたことなどから、今も太宰府のシンボルとなっています。
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20基肄城跡
大野城とおなじ665年につくられた、日本最古の山城の一つ。「西の都」大宰府が成立すると、南がわの重要な拠点となった。奈良時代の万葉集にも登場。
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21阿志岐山城跡
歴史書には登場しないが、大野城や基肄城などと同じ古代につくられた山城。かたく突き固められた土塁や、きれいに加工した石を積んだ石塁が残る。
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22次田温泉(二日市温泉)
大宰府からまっすぐ南へのびる官道のそばにあり、8世紀には太宰府の長官であった大伴旅人も訪れた温泉地です。奈良時代の『万葉集』にも登場します。
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23塔原塔跡
「西の都」大宰府が誕生するより前の、7世紀の後半に建てられたお寺の塔の跡。発掘調査では、奈良県の飛鳥時代のお寺と同じ文様の瓦が見つかりました。
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24天拝山
古代大宰府の街の南側にある山で、山頂からは大宰府跡、水城跡、大野城跡などがみえる。菅原道真が天に向かって無実を訴えたという言い伝えがある。
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25杉塚廃寺
8世紀の前半に建てられたお寺の跡で、今は建物跡だけが残っている。当時は、すぐ近くに官道があり、大宰府へ向かう外国使節もお寺の姿をみていた。
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26牛頸須恵器窯跡
古墳時代から平安時代まで、およそ350年の間、須恵器を焼いていた窯跡です。およそ600もの窯があったと考えられており、大宰府の食器も生産していました。
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27牛頸須恵器窯跡出土ヘラ書き須恵器
古代の役所に税として納めるために焼かれた須恵器です。ヘラを使って、つくった人の名前や年号などを書いているのが、珍しい特徴です。
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28御笠の森
奈良時代に、大宰府の位の高い役人であった大伴百代が、恋をテーマにした和歌のなかで詠んだ森。古代の官道のそばにあり、行き来する人たちも知っていた。
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29善一田古墳群
6世紀から7世紀にかけてつくられた古墳群です。朝鮮半島でつくられた土器や、乗馬の道具(馬具)、刀の飾り金具など、海外との交流を示す品々が出土しました。
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30裂田溝
那珂川から田んぼに水をひくため、長さ5.5kmにわたってつくられた古代の用水路です。奈良時代の歴史書『日本書紀』にも登場します。
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